全長:21m 全幅:22m
構造:鋼製 アーチ橋
完成:昭和2年(1927年)
千代田区大手町1丁目と神田錦町2丁目を結んで架かり、日比谷通りが走っています。
神田橋は、江戸時代から関東大震災までずっと木製の橋で、関東大震災で消失しました。震災復興事業で大正15年に完成した橋は、現在地下を走る千代田線の工事に伴って架け替えられました。 橋の北詰上流側の公園の中に、復興事業の技術担当の功労者太田円三(復興局土木部長)の像が設置されています。大正15年3月21日太田円三は神田橋完成1ヶ月前に、突如自殺したそうです。 現在の神田橋の橋詰は、4ヶ所とも首都高速道路神田橋ランプの出入口となってしまっています。
<橋名の由来>
江戸時代の神田橋御門の見附橋でしたが、橋はもともと古くからあったといわれています。橋の北側の地名から神田橋と名付けられたようです。橋の南側(大手町側)は昔は柴崎村といい、神田明神の社地でした。